2020年9月6日放送される情熱大陸にて粟田純徳さんが出演され、先祖代々受け継いできた伝説の石積み術について語ってくれます。
この記事は、情熱大陸(9/6)に出演される粟田純徳さんのプロフィール、経歴、粟田さんが代表取締役を務める粟田建設、穴太衆についてまとめています。
(トップ画像引用:wiki)
お久しぶりですm(_ _)m
皆さまにお知らせがあります!!
今週 9月6日(日)23時〜
毎日放送さんの【情熱大陸】にて、
粟田建設15代目当主、粟田純徳の密着が放送されます!
是非、ご覧ください!♂️— 粟田建設@穴太衆【公式】 (@anoushu_) September 1, 2020
情熱大陸の基本情報と見どころ
2020/9/6(日)23:00~23:30
情熱大陸【粟田純徳/「石の声を聴けー」戦国の石垣づくりの技を継ぐ石工】TBS1(地上波)ジャンル:ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
石工/粟田純徳▽戦国時代に活躍した400年の系譜を受け継ぐ石工集団『穴太(あのう)衆』第15代目当主。教えを守り、歴史を背負った男の“石と向き合う日々”とは
放送を楽しみにするネットユーザーやファンからも声が挙がっています。
来週の情熱大陸は、穴太衆の流れを組む、石工粟田純徳さん。穴太衆は、安土城や彦根城をはじめとした多くの石垣を手掛けた。この石垣だけを見に、安土城跡に行った事もある。来週が楽しみでしかない。
— まなりん~拓哉は永遠のロイド (@manarin09) August 30, 2020
粟田純徳さんのプロフィール、出身、経歴
安土桃山時代から日本の石垣建築
を担ってきた穴太衆(あのうしゅう)
15代頭、粟田建設
粟田純徳さん(「ブラタモリ」より)#穴太衆 #石垣 #粟田建設 #石工衆 #石垣職人 pic.twitter.com/QdYDfzz8WT— 神州清潔の民 (@karayan13z) October 6, 2019
名前:粟田 純徳(あわたすみのり)
所属:株式会社粟田建設 代表取締役沿 革
江戸時代初期 阿波屋喜兵衛創業
明治6年4月 屋号『桶万』に変更
昭和9年8月 粟田万喜三、十三代目継承
昭和39年4月 社名『粟田建設』に変更
〃 責任者に粟田純司就任
昭和47年10月 有限会社に変更
粟田純司社長就任
平成17年6月 株式会社粟田建設に変更
粟田純徳社長就任と第十五代目継承史跡関連主要工事(実績)
●特別史跡安土城跡石垣修理工事
●国定史跡篠山城跡石垣修理工事
●国定史跡朝倉敏影居城石垣修理工事
●国定史跡彦根城石垣修復工事
●国定史跡竹田城跡石垣修復工事
●国定史跡和歌山城石垣修理工事
●国定史跡高知城跡石垣修復工事
●国定史跡洲本城跡石垣修復工事
●その他各都市の城郭石垣修理工事
●延暦寺・三井寺・西教寺・善光寺他石垣石積工事
●公園、河川、一般住宅石垣石積工事
引用:公式サイトより
私独自に調べてみたところ、粟田純徳さんはアメリカでもお仕事をされた経歴もありました。
アメリカ南部テキサスにて、日本のサムライコレクターの依頼で、日本の城を彷彿させるような石の壁を積み上げたことでも有名です。
穴太衆とは?穴太衆積みとは?
穴太衆(あのうしゅう)とは、戦国時代から全国各地に城壁を築いてきた職人集団の系譜を継ぐ職人たちのことを言います。ちなみに、粟田純徳さんは設計図が無くても巨石を積みあげる技を持ちます。
穴太衆の石積みは、穴太衆積みと呼ばれ、自然石をそのまま積み上げる「野面積み」を代表する積み方です。つまり、石に対して加工をしないまま積み上げるというやり方です。
石を加工せずに積み上げるというのは相当な熟練した技を持っていなければできません。
穴太衆は謎に包まれている部分も多いですが、比叡山延暦寺などの有名な建造物に携わったり、現代にも残っている建造物があることことから、技術力はかなりのものであったことがうかがえます。
穴太衆は、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになった。それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで作られた。彼らは全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を施工するようになったというが、不明な部分も多い。
引用:wiki
ちなみに、織田信長も比叡山延暦寺に積み上げられた石積みを見て、「これはうちにも使いたい」と思い、穴太衆を安土城の築城に召し抱えたことは有名な話です。それくらい、自然な石を積み上げるということがどれほど大変で、堅牢であったかがうかがえるエピソードですね。
日本の風土に適した石積み技術が確立されていくわけだが、その名声を高める契機となったのが、あの有名な織田信長の「比叡山の焼き討ち」である。信長は焼き討ち後、再興の目を徹底的に潰すため、臣下の丹羽長秀に焼け残った石垣などの打ちこわしを命じる。しかし、延暦寺伽藍の石垣は、なんとも頑丈すぎてなかなか壊すことができない。それを信長に進言すると、信長は後世で城の歴史を変えたと言われる名城「安土城」の築城に「穴太衆」を召し抱えたのだという。
引用:LIFULL HOMES PRESSより
穴太衆、穴太衆積みに関するネットユーザーの反応
穴太衆、穴太衆積みは、情熱大陸だけでなくブラタモリなどでも特集されるなど、認知度が広がっています。城マニアの間では、知らない人がいないくらい人気があります。
安土桃山時代から続く、日本の城郭の石積み技術で名を馳せた穴太衆と呼ばれる職人集団。その技を継ぐ15代目である粟田純徳氏が、甲冑コレクターのスイス人富豪の依頼で渡米し、この分野に関しては素人同然の作業員たちと石垣を積んでいくという壮大なドキュメンタリー。https://t.co/rL8GxTvxKg pic.twitter.com/SRTN0LvMYu
— 66 (@alohamode) February 19, 2020
「石の声を聞け。」その崩れない強さのゆえに信長や秀吉に採用された「穴太衆積み」は、自然石をほとんど加工しないで、そのままの姿で積み上げていくらしい。「石と対話し、石の声に耳を傾ける。石と長く付き合っていると、石の方からどこに行きたいか教えてくれる。(粟田純徳さん)」そうである。
— 木村 友彦 (@SkFkwURC8WNcVuv) September 17, 2018
“穴太衆の子孫で第15代石匠の粟田純徳さんは「この反りを出すには以前と全く同じように石を積まなければならない。崩れて石が割れたりしている状況では相当難しいと思う」と”
石垣の修復に20~30億円。受け継がれた技術で是非、修復を。 https://t.co/kblTAShjse
— 金沢雪乃 (@ten1998) April 26, 2016
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