石井正則は、ハンセン病診療所を巡る旅をしていました。ハンセン病療養所の今!これは絶対に自分が撮らなければ!と強く思ったそうです。ハンセン病診療所の真実に迫ります。写真展が開催されます!是非足を運んでほしいです。
石井正則さんについて
生年月日 | 1973年3月21日 |
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身長 | 158cm |
出身地 | 神奈川県 |
血液型 | O型 |
趣味 | 自転車・フィルム写真・喫茶店めぐり(全国2,400件以上)・時計・読書 |
資格 | かながわ検定横浜ライセンス3級、漢方養生指導士中級。 |
七代目自転車名人。初代ミニベロ親善大使。駄カメラ写真協会会長。珈琲&喫茶店愛。
自転車12台所有。 |
俳優、タレント、ナレーター、写真家と様々な顔を持ち、
「七代目 自転車名人」「初代ミニベロ親善大使」としてもご活躍されております
石井正則さん。石井さんのミニベロ愛は小径車業界では有名で、現在、birdy、BROMPTON、Tyrell、Tartaruga・・・などなど、
石井さんのミニベロ愛は小径車業界では有名で、所有されている台数は、なんと「12台」!そして今回、新たに!13台目となるミニベロを購入したのだとか。
写真家という意外な素顔に密着
俳優の石井正則さん(もとお笑いコンビ「アリtoキリギリス」)は、写真家という一面も持っています。
彼が撮ってきたのは全国のハンセン病療養所の真実です。写真展が行なわれます。
2020年2月29日(土)~5月6日(水) 国立ハンセン病資料館
写真展「13(サーティーン)~ハンセン病療養所の現在を撮る~」を開催
自身のライフワークでもある大判カメラ8×10(エイトバイテン)で、全国13か所のハンセン病療養所を周り撮影を行いました。
手焼きのモノクロプリント作品27点を展示します。
2020年3月8日(日)・4月19日(日)には石井正則さんによるトークイベントも開催予定。
石井正則写真展「13(サーティーン)~ハンセン病療養所の現在を撮る~」
・会期:2020年2月29日(土)~5月6日(水)
・会場:国立ハンセン病資料館 2階 企画展示室
・入館時間:午前9時30分~午後4時00分まで
・休館日:月曜および国民の祝日の翌日
「現実をしっかりと撮らないといけない」
地面に立てた三脚に正方形の木の箱のようなものを取り付ける。箱の前の留め金を外すと、蛇腹が出てきた。蛇腹の先にレンズを装着し、木の箱にケーブルレリーズを取り付ける。通称「バイテン」と呼ばれる大型カメラだ。「バイテン」とは1枚のフィルムの大きさが8×10インチ(20×25センチ)であることに由来する。レンズが向けられているのは霊安堂。この施設で亡くなられた方の遺骨が納められている。
今年11月初旬、ここは宮城県登米市にある国立ハンセン病療養所・東北新生園だ。撮影しているのは俳優の石井正則さん(46)。国立のハンセン病療養所は全国に13カ所あり、石井さんはその全てを撮影して回っている。ここが最後の撮影地だった。
カメラにビニール製の暗幕を掛け、その中に潜り込む。ピント調整のため、遮光する必要があるからだ。その所作は淡々として、静かだった。石井さんは今までたったひとりで、こういう撮影を繰り返してきた。
「撮影のきっかけは、10年近く前にテレビのドキュメンタリー番組を見たことですね。香川県大島にある大島青松園でした。正直、それまではハンセン病とか療養所について、とくに関心があったわけでも知識があったわけでもありません。その番組で、亡くなった方を解剖する解剖台が紹介されていたんですね。ベッドみたいなんじゃなくて、本当にただの小さな岩みたいなもので。それを見た瞬間に、あ、これは撮らないといけないと感じたんです」
それは記録に残す使命感のようなものかと問うと、石井さんは「使命感はむしろ撮り始めてからですね」と言い、首をひねったそう。
「なんだろう、僕が撮らないとというより、自分が撮るんだろうな、という感覚。なんか自分でもうまく言葉で説明できないところなんですけれど」
石井さんは、芸能界きっての「撮り手」としても知られる。療養所を撮り始めたことは、その写真家としての芸術的衝動だったのかもしれない。
「空気だけ撮らせてください」
実際に撮り始めたのは2016年。東京都東村山市にある多磨全生園からでした。
「最初に撮ったのは、入り口です。園に入った瞬間に空気の違いのようなものを感じて、衝撃的でした。僕はわりと『土地の記憶』というものを信じるほうなんです。今の全生園は普通に近所の人が通り道にするような開かれた場所じゃないですか。なのに閉ざされた空気みたいなものをそのときは感じたんです」
石井さんの「土地の記憶」については、ハンセン病療養所の特殊な経緯を説明していきましょう。
ハンセン病は感染症の一種で、病名は1873(明治6)年、らい菌を発見したアルマウェル・ハンセンに由来する。感染した者の顔や手足に後遺症が残ることから偏見や差別の対象となり、世界で隔離政策がとられてきた。日本で最初に隔離を定めた法律は1907(明治40)年に「癩(らい)予防ニ関スル件」で、家族と縁を切って放浪する患者を隔離するのが目的だった。
これにともない、国内に5か所の公立療養所が設立された。その後、1931(昭和6)年に「癩予防法」に改正され、全ての患者を対象とする強制隔離が始まり、感染が確認された者は否応なく施設に収容された。既存の公立療養所は国に移管され、新たに国立療養所は8か所増えて13園となり現在に至っている。施設を脱出しようとすると懲罰が与えられ、強制断種・強制中絶のような人権侵害が行われた。
らい菌の感染力は非常に弱く、その後に特効薬が開発されたこともあって、世界で隔離政策は廃止されていく。だが日本では1953(昭和28)年に「らい予防法」が新たに制定され、1996(平成8)年に廃止されるまで隔離政策は続いた。入所者たちは長年の隔離政策は違憲だとして、98年、熊本地方裁判所に提訴。2001年に原告全面勝訴の判決が確定した。現在、ハンセン病は完全治癒が可能で、療養所の入所者たちも治癒し「回復者」とも呼ばれている。
その「空気感」の体験から、石井さんはバイテンを使うことにしました。
「撮るというより、この空気を閉じ込めなければならん、と。フィルムが大きい分、シャッターを切ると入る光の量が普通のカメラより多いですよね。それを閉じ込めて持って帰る。普通の35ミリのカメラでは一部抜粋みたいになっちゃう。たぶんデジタルカメラのほうが画質的にはバイテンよりきれいだと思うんですよ。ただ、きれいなデータは残るかもしれないけれど、光と空気は持って帰れない気がする。そのためにはやはりバイテンしかない」
石井正則さんの熱い思いが込められた写真展についてまとめてみました。いかがでしたでしょうか。ハンセン病診療所の今が映し出された写真展、この空気を感じに足を運んでみてはいかがでしょうか。
kirarinもまとめながら、かなり空気を感じてみたく、現在のハンセン病診療所のことを知りたいと思ったので行ってみます。
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