おちょやん【浪花千栄子】生い立ちや経歴は?家族構成(夫や子供)は!

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2020年朝ドラ「おちょやん」の主人公ヒロイン、杉咲花(すぎさきはな)さん演じる竹井千代(たけいちよ)の実在モデルは、浪花千栄子(なにわちえこ)さんです。浪花千栄子さんの家族、夫や子供はいたのでしょうか。経歴や生い立ちが気になります。浪花千栄子さんは、大正から昭和にかけて活躍した女優さんで、「大阪のお母さん」として親しまれ、上方女優の代名詞とも言われる、上方のコメディエンヌだそうです。

それでは、浪花千栄子さんについていってみましょう。

おちょやんの竹井千代こと「浪花千栄子」さんのプロフィール

名前:浪花千栄子(なにわちえこ)

本名:南口キクノ(なんこうきくの)

生年月日:1907(明治40)年11月19日

没年月日:1973(昭和48)年12月22日

出身地:大阪府南河内郡東板持町(現在の富田林市)

おちょやんの竹井千代こと「浪花千栄子」さんの家族構成は?

1925年、17歳の時に浪花千栄子さんは知人の紹介で「村田栄子一座」に入り舞台女優の道を歩み始めます。翌年、映画「帰って来た英雄」の準主役に抜擢されたことがきっかけで女優としての才能を開花させました。

しかし、その後浪花千栄子さんは給与の未払い問題などが発覚したことで映画の仕事から離れます。

浪花千栄子さんの結婚相手、2代目渋谷天外さんについて

1930年には舞台の仕事に目覚め「松竹家庭劇」に参加します。そこで出会った二代目渋谷天外さんと結婚。

渋谷天外さんは1906年初代渋谷天外の長男として京都で生まれます。父の跡継ぎとして8歳で初舞台を踏みますが、10歳の時に父と死別。その後はしばらく舞台を離れてしまいます。

にだいめ しぶや てんがい
二代目 渋谷 天外
二代目 渋谷 天外

結成当時の松竹新喜劇メンバー。前列左から4人目が二代目天外。
本名 渋谷一雄
別名義 館 直志
生年月日 1906年6月7日
没年月日 1983年3月18日(76歳没)
職業 喜劇俳優、劇作家

戦後は1946年に「松竹家庭劇」を脱退し「劇団すいーとほーむ」を主宰。

1948年に「松竹新喜劇」を創設し中座で初公演を行います。

その後は藤山寛美さんとのコンビが人気を呼び、看板俳優・劇作家として舞台・映画・ラジオと喜劇一筋で「上方の喜劇王」と呼ばれるほどの活躍を続けます。

1965年松竹新喜劇が大人気の中、二代目渋谷天外さんは公演中に倒れてしまいますが麻痺が残りながらも1967年に舞台に再び復帰を果たしました。

渋谷天外さんもとても波乱万丈な人生ですよね。

 

浪花さんは天外さんと結婚もしていますが、渋谷天外さんはお相手の女性、劇団の新人女優「九重京子」との間に天外さんの子どもが産まれてしまいます。このことで浪花さんと天外さんは離婚をすることに。

浪花さんは、1951(昭和26)年、44歳のときに「松竹新喜劇」からも退団し、女優も一度は辞めてしまいます。

浪花千栄子さんの夫の浮気相手「九重京子」さんについて

九重京子さんの本名、渋谷喜久栄さんは1921年に生まれます。

小学校をでてすぐに宝塚音楽学校に入学しますが1年で退学。

1936年大阪松竹少女歌劇団に入団しなおして飛鳥流の振り付けを習います。

 

その後、九重京子の名前で男役として活躍。戦後、1948年に「松竹新喜劇」の旗揚げに参加し、そこで出会った二代目渋谷天外さんと不倫の末妊娠し結婚します

笑ってしまった100q話(1)【加地伸行先生・渋谷天外さん・坪内稔典先生 ...

松竹新喜劇の現代表の三代目渋谷天外さんは次男に当たります。

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二代目渋谷天外さんとの間には2人の子供がいました。

三代目渋谷天外さんは次男と言うことなので、他に長男がいると思われますが詳しくは分かりませんでした。

 

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おちょやんの竹井千代こと「浪花千栄子」さんの生い立ち経歴は?

浪花千栄子さんは大阪府南河内郡東板待町出身で、1907年11月19日生まれの女優。

1973年12月22日、消化管出血のため死去しています。

享年66歳でした。お亡くなり後に、勲四等瑞宝賞を受賞されています

 

浪花千栄子さんと言えば、オロナインのCMで有名ですよね!画像を見たら、あー見たことある~!って人もいるのではないでしょうか。

本名は南口 キクノ「なんこう・きくの」に因んで、オロナイン軟膏のCMに起用、ホーロー看板も登場しました。「なんこうきくの=軟膏効くの」という理由のようです。

 

ご実家は養鶏場を営んでいましたが、あまり裕福な家庭ではなく生きてゆくためには、なんでもしなくてはいけない時代でしたので、浪花千栄子さんは8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出されました。

造り酒屋にも奉公し、小学校を卒業できなかったの、新聞などで独学で文字を覚えました。

 

その後、京都で女給として働きます。

 

18歳の時、知人の紹介で村田栄子一座に入り、舞台に立つようになりました。

ですが、入場客の不入りが続き東亜キネマ等持院撮影所に移りました。

「香住千栄子」という芸名で端役出演を続け、1962年(大正15年)山上伊太郎の初シナリオによる大作「帰ってきた英雄」の準主役に大抜擢。

 

以後、映画出演を続けていましたが、給与未払いなどの問題が出来、映画界から足を洗います。

 

昭和4年(1929年)新潮座に入り、大阪弁天座にて初舞台。

昭和5年(1930年)渋谷天外と結婚し、松竹家庭劇に入団します。

松竹新喜劇(しょうちくしんきげき)は、松竹傘下の喜劇劇団。

同じ上方を本拠地とする吉本新喜劇のコント主体の軽演劇と異なり、ときに涙を誘う物語性のある人情喜劇を売りにしている。

2代目渋谷天外、曾我廼十吾らの指導を受けたが、劇団が新喜劇に変わった昭和26年(1951年)天外と離婚し退団しました。

 

芸能界から身を引き、同業者にとっては行方不明同様になっていた浪花千栄子さん。

 

しかし、NHK大阪放送局のプロデューサー「富久進次郎」さんが浪花さんを捜索し、NHKラジオの『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役としての出演を請います。

 

この『アチャコ青春手帖』が人気を博し、女優として復活!

『アチャコほろにが物語 波を枕に』を経て、引き続き、『お父さんはお人好し』にも出演。

長寿番組となり、斎藤寅次郎監督により映画化もされました。

同年、NHKラジオ「アチャコ青春手帖」出演し、29年からの「お父さんはお人好し」では花菱アチャコと共演、なにわ女を公好演しています。

 

溝口健二監督の映画「祇園雅子」で28年度ブルーリボン賞助演女優賞をはじめ、

  • 29年「二十四の瞳」「女の園」
  • 32年「大阪物語」
  • 33年「喜劇・駅前旅館」
  • 34年「花のれん」に出演されました。
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朝ドラ「おちょやん」についての反応は?

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朝ドラのタイトルになっている「おちょやん」は、大阪の言葉で、料亭や茶屋などで働く若い女中さん、という意味の「おちょぼさん」から来た言葉です。

まとめ

おちょやん「浪花千栄子」さんについて経歴や家族構成などを調べてみました。

浪花千栄子さんの人生は波乱万丈な人生を歩まれたのですね。

8歳で親から離れ、小学校を卒業できなかったため、文字を知らないところから独学で学ぶ努力家ですね。

そして結婚されますが浮気をされてしまい、相手との間に子が出来てしまうなんて、なかなか耐え難い経験をされています。

その後も強く前向きに歩まれた結果、しっかり女優業に復帰されています。

そんな波乱万丈な浪花千栄子さんの人生をいかに、忠実に演技できるのか、おちょやんが楽しみですね。

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