野村克也監督と言えば妻の沙知代さんが亡くなった時のコメントが忘れられません。夢と希望をありがとう!
妻の沙知代さんが亡くなった時の言葉です。↓
「人の命の儚さを知った突然の死。家中サッチーだらけなのに、おまえだけがいない」
野村克也さんについて
1935年6月29日、京都府網野町(現・京丹後市)生まれ。54年、峰山高からテスト生で南海に捕手として入団。65年、戦後初の3冠王を獲得。70~77年まで選手兼監督を務め、ロッテ、西武を経て引退。解説者を務めた後、ヤクルト、阪神、社会人野球のシダックス、楽天監督を歴任。優勝5回、日本一3回。通算657本塁打、1988打点は、いずれも王貞治氏に次いで歴代2位。
「大丈夫よ」それが妻の最後の言葉と克也さん
野村沙知代さんが虚血性心不全で急逝したのは2017年12月8日。享年85歳の時でした。
「あの日は午後1時頃に起きて、お手伝いさんが作ってくれた食事をしたあと応接室でテレビを観ていた。そこへお手伝いさんが『奥様の様子がおかしいんです』と血相を変えて飛び込んできたので慌てて食堂へ行くと、サッチーが食卓に突っ伏してた。『大丈夫か』と声をかけたら、『大丈夫よ』といつもの気丈な調子で返事が返ってきたんです。でもそれが最後の言葉だったね。
そこから息を引き取るまで5分でしたよ。救急車を呼んで病院に搬送したけど、救急隊員の人ももう息をしてないと言ってたね。死んだのかと頭ではわかっても心がついていかないというか……。人の命ってこんなに儚いものかなと絶句したまま、涙も出なかった」
とインタビューに答えていました。お話しながら沙知代さんがデザインしたダイヤの結婚指輪を見つめていたそうです。
この指輪を外す気はないね。同じ敷地に息子夫婦が暮らしてるけど、どうしようもなく寂しくて。妻に先立たれた男なんて憐れなもんだ。一人じゃ何もできなくて……。私がションボリしているから慰めてやろうと思うんだろうね、また結婚したらどうかって勧めてくれる人もいるけど、誰がこんな爺さんと結婚してくれるというのか……。それにサッチーの代わりはいない。50年ものあいだ片時も離れずに過ごした人だったからね」
と、沙知代さんへの思いを伝えておりました。
愛する妻沙知代さんには会えたでしょうか
現役中の選手兼監督時代を含めて、引退後はヤクルトや阪神、楽天などで監督を歴任。ヤクルト時代の1993年には監督として初優勝を果たしました。
楽天監督時代の2009年には、チームを球団初のクライマックスシリーズまで導いた。その年に監督を退任し、名誉監督に就任して、野球一筋に生き抜いた野村克也さん。
息子の野村勝則さんについて
野村勝則さんは、野村克也さんと沙知代の息子。克也さんの子どもとしては三男ということになります。
愛妻の死去後は1人暮らしという野村氏。「しょうがないです。耐えなきゃ」とさみしさと戦っているという。食事は出入りしているお手伝いさんや、裏手に住む息子・克則夫婦の妻が用意してくれている。
ノムさんは「最初はね、東京のど真ん中に広い土地があって『あぁ、優雅でいいなぁ』と思っていて。そこへ息子夫婦が『家を建てていいか』と言ってきた。嫌だなぁと思ったんですけれど、まぁしょうがないかと許可して。結果的には本当に良かった。年いけばいくほど、そばに家族がいるっていうのは」と語った。
まとめ
野村克也監督の人生と大切な野球・家族についてまとめてみました。
kirarinは、どうしても野村監督!と言ってしまいますが、妻の沙知代さんを愛し、野球を愛した人生に幕を閉じました。天国ではサッチーと会えたでしょうか。また、夫婦仲良く幸せに過ごして欲しいと願うばかりです☆彡
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