加藤茶さんは志村けんさんの死去の電話を受けた時、真っ白い顔でぼーっと動けないほどのショックを受けていたと嫁(妻)の綾菜さんが伝えていました。その後ショックのあまり、鬱になるのではないか、また激やせしてしまうのではないか、とファンからの心配の声が上がっていました。実際は綾菜さんがいてくれたおかげで加藤茶さんは、とても元気づけられていると話題になっていました。
志村けんさんの追悼番組でも、随分若返った!と加藤茶さんのことが話題になりましたね。そんな加藤茶さんについて調べてみました。
加藤茶さんについて
フリガナ | カトウ チャ |
---|---|
性別 | 男性 |
生年月日 | 1943/3/1 |
星座 | うお座 |
血液型 | A型 |
身長 | 163cm |
出身地 | 東京 |
ジャンル | タレント 、俳優 、コメディアン |
デビュー年 | 1964年 |
デビュー作 | ホイホイミュージックスクール (日本テレビ) |
代表作 | 8時だョ!全員集合 (TBSテレビ) ドリフ大爆笑 (フジテレビ) 警視庁ゼロ係 (テレビ東京) はぐれ刑事純情派 (テレビ朝日)/2001年 |
特技 | クレー射撃 ゴルフ |
出典:(VIPタイムズ社)
加藤茶(カトウ チャ) お笑い・タレント・俳優。 1943年3月1日生まれ、東京都出身。A型。トロンボーン奏者を目指してスターダスターズのバンドボーイをやる。62年には“桜井輝夫とザ・ドリフターズ”にメンバー入り。64年、番組で披露した「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者に。69年、TBS系バラエティ『8時だョ!全員集合』にて、さまざまな一発芸をヒットさせる。以降、俳優としても、複数のドラマに出演する
嫁の綾菜さんについて
45歳差で大変話題になりましたが、加藤茶さんのどういうところに惹かれたのでしょう?
という質問に・・・
加藤綾菜(以下、加藤):私、加トちゃんと出会う前までは本当に同年代くらいの人としか付き合ってこなくて。ものすごく年上が好きとか、そういうこと一切なかったんですよ。和食屋さんでアルバイトをしていたのですが、たまたまそこの常連さんに加トちゃんがいたんですよ。
カトちゃん、下の立場の人にも紳士的で優しかったんです。こんなペーペーの和食屋のアルバイトだった私に優しくしてくれて。好きになったのは、偉ぶることなく同じ目線で私と話してくれたってところが大きいですね。「あれ早く持ってきてよ!」って横柄な対応を取るお客さんもいますが、加トちゃんはお茶を出しただけでも「ありがとうね」って言ってくれて。あと、背がちっちゃいし、物理的にも目線が合う(笑)。
スポニチ引用
二人の出会いは2009年のことで、加藤綾菜さんが働いていた東京六本木の割烹料理屋「龍馬」というお店で知り合ったとされています。
龍馬ホームページ
二人の結婚は2011年の6月で、翌年2012年3月1日に盛大な披露宴を挙げたことでも話題になりましたね。その後年の差もあり、世間からはバッシングをうけたときもありますが、お二人の仲睦まじい姿を見るたびに、世間もお二人を応援、祝福するようになったのだとか・・・今ではとてもお似合いのお二人だと話題ですね。
志村けんさんと加藤茶さんのコントの数々
お二人のコントは何度見ても、何歳になっても笑顔になれますね。本当に素晴らしいです
志村さん死去により、追悼番組では・・・
志村さんの死去を受けた時には顔が真っ白になり倒れそうになったという加藤さん。その後はしっかりと追悼番組に出られ、お手紙を読んでいらっしゃいました。
それがこちらです。
加藤茶さんの生い立ち・・・
加藤さんは、戦争真っ只中の1943年、ギタリストだったお父さん・平八郎さんのもと、2人兄妹の長男として東京で誕生するのですが、お父さんがガンを患い、終戦後はお父さんの郷里の福島県福島市に移り住みます。
そして、ほどなくして、お父さんが他界。そのため、お母さんは、加藤さんと加藤さんの妹2人を福島に残し、一人で東京に戻ると、飲食店で働き、加藤さん達に仕送りを続けてくれたそうですよ。
父のことは何も覚えていません。オイラが小学校に入る頃、母ちゃんが福島に帰ってきて、2歳下の妹と一家3人で暮らせるようになった。母は飲食店をやって、女手一つでオレたちを育ててくれたの。
と、語っておられました。その後、カトちゃんはトロンボーン奏者として活躍を夢見ますが、うまくいかず、諦めます。
そんな中プロのドラマーから、捨てておいてと折れたスティックを渡されたことがきっかけで、スティックが2本あれば練習できるドラムをやろうと決意すると、
その折れたスティックを削って練習に励み、また、運良く、先輩のドラマーがドラムを教えてくれたこともあり、半年で、「クレージーウエスト」のメンバーとして加入。
プロのバンドマンになったのでした。
(この「クレージーウエスト」では、後に「ザ・ドリフターズ」として共に活動する、仲本コージさんと出会われています)
ちなみに、加藤さんは、プロになって最初にお給料をもらった時、お母さんと妹さんを東京に呼び、洋食屋に食べに連れて行かれたそうです。感動するエピソードです。
2人においしい物を食べさせたくて、頑張ってきた……
鶏の料理を3人で泣きながら、食ったんだ。
と、語っておられました。涙がでますね。
ザ・ドリフターズにスカウト
1962年、19歳の時には、ズーズー弁をしゃべる面白い若者として楽屋で人気があったことから、スカウトされバンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に加入されました。
ドラムを始めたきっかけが折れた捨てるはずのスティックだったということですが、こんなに上手になるくらい練習を当時重ねた加藤茶さん、本当に努力を惜しまない人であるということが伝わってきますね。
こんな記事はいかがでしょうか↓
まとめ
加藤茶さんについてまとめてみました。いかがでしたか?
今のような裕福な世の中ではない時代に、加藤茶さんのお父さんは病気で他界され、その後はお母さんが一生懸命に働いて育ててくれたことや、その後初めてのお給料でお母さんやお姉さんをご招待して泣きながらご飯を食べたと言う話を聞いて涙が出ました。
そして、ご結婚された彩菜さんにも、とても紳士的で優しい夫だと綾菜さんがコメントしていました。
志村さんの死去で鬱なども心配されていましたが、優しい妻に支えられ、元気を取り戻す姿に世間も、良かったね・・・夫婦幸せでよかったとの声が上がっていました。
いつまでも元気でいて欲しいと願っております
コメント