宮城まり子と江原啓之の繋がりは?吉川淳之介が父「ねむの木学園」養子のとしみつくんとつとむくん。

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女優の宮城まり子さんが死去されました。93歳でした。芥川賞作家の吉行淳之介さんとの不倫関係(パートナー)にあったことは有名な話ですが、宮城まり子さんと吉行淳之介さんとの愛の証である静岡県掛川「ねむの木学園」の子供たちの実態とは?後継者は?「お母さん」がいなくなり、どうなるの?。大運動会には江原啓之さんも訪れる。歌や踊りの運動会も、え?と驚くことがいっぱいです!

 

宮城まり子さんについて

宮城まり子
1927年3月生まれ。55年、「ガード下の靴みがき」で歌手デビュー。その後、女優としてミュージカルの舞台に立つ一方、映画やテレビ・ラジオにも多数出演。68年に日本初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を設立。79年、肢体不自由児のための特別支援学校「ねむの木学校」を開校。子供たちが描いた絵の展覧会やコンサートを開くほか、「ねむの木の詩がきこえる」(77年)など4本の映画を製作・監督し、国内外で高い評価を得る。作家の故・吉行淳之介氏のパートナーとしても知られる。

 

吉行淳之介さんについて

1924-1994)1924(大正13)年、岡山市生れ。東京大学英文科中退。1954(昭和29)年「驟雨」で芥川賞を受賞。性を主題に精神と肉体の関係を探り、人間性の深淵にせまる多くの作品がある。また、都会的に洗練されたエッセイの名手としても知られる。1994(平成6)年、病没。主要作品は『原色の街』『娼婦の部屋』『砂の上の植物群』『星と月は天の穴』(芸術選奨文部大臣賞)『暗室』(谷崎賞)『夕暮まで』(野間賞)『目玉』等。

 

宮城まり子さんと吉行淳之介の関係性

淳ちゃんとの子供である『ねむの木』を守りたい

 

68年に、日本で始めての肢体不自由児のための療護施設として設立された「ねむの木学園」。学園の“おとうさん”だった、作家・吉行淳之介さんが亡くなってすでに13年がたつ。だが、90歳になった宮城まり子さんの情熱をいまも支え続けているのは、「淳ちゃんとの子供である『ねむの木』を守りたい」という、一途な想いの証です。

不倫という関係

 

90歳になったいま振り返ってみても、淳ちゃんと私はとてもいいコンビでした。ずっと結婚という形を望んでいましたけれども、かなわなければ、愛だけでいいと思い続けていました。淳ちゃんの子供、もちろん欲しかった。ただ……

 

本当の妻の存在やこどもたちに悪いと思っていたの・・・

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「できなかったのではなく、産まなかったのです」

ねむの木の子供たちは、吉行さんとの子供だと宮城まり子さんはコメントしています。理事を引き受けた吉行さんは、ねむの木学園の子供たちの“おとうさん”なのです。

宮城まり子さんの想い

もし“淳ちゃんの妻”になっていたら、ねむの木学園は続けられていないなと思います。もし淳ちゃんの子供を産んでいたら、私たちの恋愛の形・ベタベタしない、兄妹みたいな、互いを思いやる関係は成り立たなかったでしょう

ねむの木学園の実態

海辺の町から現在の静岡県掛川市に移転したのは’97年。80ヘクタールの広大な土地を「ねむの木村」として造成し、学園や養護学校のほか、大人になっても一緒に生活できる身体障害者療護施設「ねむの木のどかな家」を設立しました。

「ねむの木村では、まだまだ、したいことがいっぱいあるんです。あと5年か10年、頑張りたいな」

90歳を迎え、最近では自分のことより、子供たちの将来が何より心配になる。

血がつながっていなくても、いっしょに仲よくしていると、一人一人が素晴らしい才能を秘めているのがわかるの。それを引き出すお手伝いをして、才能の小さな芽が出てきたのに気づくとうれしくて、ギュッと抱きしめたくなるんです

と宮城まり子さんが語っています

ねむの木学園の歴史

ヘット・ドロップを目標に1968年(昭和43年)1月24日社会福祉法人の設立が認可されました。そこは12人のこども、こども部屋2つと調理場、食堂兼教室兼遊び場の広い部屋、小さな書庫、当直の部屋、お風呂、トイレだけのお家でした。

昭和43年4月6日に日本で最初のからだにハンディキャップをもったこどもたちの為のお家「肢体不自由児養護施設 ねむの木学園」を開園しました。

 

それ以来、「やさしくね やさしくね やさしいことはつよいのよ」という言葉の下、すべての人、すべてのものに対して常に慈しみの心を注ぐことが人間として本来の強さであるという理念をもって、たくさんの応援団の方に支えられながら、ねむの木学園も歩んできました。時が変わり、場所が変わり、施設が変わり、人が変わっても、この理念は不変であり、その健学の精神と愛は永久に受け継いでいくべきものと考えています。

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学園の中での呼び方は、お母さん・お姉さん・お兄さん

「先生はやめて。子供たちだって、誰も先生なんて言わないわ。お母さんか、まり子さんよ」

そして、ねむの木学園で働く職員の皆さんは、先生ではなく男性の場合は何歳でも「お兄さん」と呼び、女性の場合も何歳になっても「お姉さん」と呼ぶことが決まっています

それはどうして?となりますよね。その答えは、家族です。ここでは皆が家族・・・という気持ちがとても大切です。家族ならば叱らなくてはならない場面が沢山あります。逆に褒めて抱きしめてあげなくてはならない時もあります。

ねむの木学園にいる子どもたちが自立してゆけるように家族だと思って職員たちは声掛けをしています。

一緒に味わう大事な食事の時間

ねむの木学園で大事にしていることのひとつに食事の時間があります。

家族はだいたい一緒に食卓を囲み、その日一日の出来事などを話しますよね。そこで、ねむの木学園でも宮城まり子さんがとても大事にしていることのひとつですが、職員も子供たちと同じテーブルに入り、食事介助をしながら、一緒に食べることをしています。

授業も遊びも甘える時間も、全て家族だったら・・・と考えて接することを大切にしています。

宮城まり子さんと吉行淳之介さんの愛

淳之介さんとは、もちろん芥川賞作家の故・吉行淳之介さん(1924~1994)のこと。亡くなるその日まで35年間、まり子さんとひとつ屋根の下で暮らした彼女の最愛の人である。籍は入っていなくても、事実上の夫婦だった

子供たちが私を愛して、私も子供たちを愛しちゃったから

この50年、「何もしてあげられていないのでは」と無力さを感じるたびに運営から手を引こうと思った。でも、できなかった。「子供たちが私を愛して、私も子供たちを愛しちゃったから」

学園では「お母さん、お母さん」と子供が宮城さんを呼ぶ声が絶えない。そのたびに「はーい」と声を振り絞るが、子供が姿を消すと「苦しい、疲れちゃった」とため息が漏れる。年齢には勝てず、最近は車いすでの移動が多く、横になる時間も増えた。それでも宮城さんの夢はぶれない。健常者も障害者もともに過ごせる場所をつくるため、ねむの木村に公園の建設を計画しています。

大運動会には江原さんが見に来ていましたね。宮城まり子さんとは耳元で仲良くお話するなど、お友達関係のようでした。最後に歌を披露なんてこともしておりましたよ。お忍びで何度も学園には訪れていました。この度は悲しまれたことでしょう。

天皇陛下皇后さまとも親しかったようで、何度も訪問されておりました。

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吉行淳之介さんとの3つの約束

パートナーである作家の吉行淳之介さんと3つの約束をしたそうです。

1つは愚痴をこぼさないこと、

2つ目はお金がないと言わないこと、

3つ目はやめないこと。

亡くなった後も、その約束は続けていますが、すごく厳しいです。

厳しいね。そのときは、厳しい優しさと思わなかったの。ああ、淳ちゃんの許可をもらってうれしいと。でも、やめるというのは死ぬことでもあるでしょ? 死んじゃいけないんでしょ? でも、いいかげん年をとった。百歳になっても夢見る人であり続けるみたいで、体がついていかないから、今つらい」~正直な今の気持ち・・・と

宮城まり子さんが心境を語っておりました。

私が死んだらねむの木学園はどうなっちゃう?

まり子さんが亡くなった後もねむの木が続くのであれば、「やめない」ことになるのではないですか?の問いに、

分かんない。私が死んだら」どうなってしまう?

まり子さんの後を継ぐ人がいれば続くのでは?と考えに、「見つかったらいいね。欲しいのに、なかなか来ない」と言われています。

 

「私なんかがこんなことしてよかったのかしら、これでよかったのかしらと、いつも思っています。それを生意気にしゃべっていることも、これでいいのかと思っています。今になって、恐れ多く感じます。こんな思い上がり」

(感じる心を)持っていてくれるように何人かはなってくれて。すべてなげうって(ねむの木を)やろうと思った気持ちが少しかなってうれしい

子供たちのこれからを考えると心配ですね。

それ考えると、つらい。立つことのできない子がたくさんいますけど、この子たちをどうしてあげたらいいんだろうと思って。だから、もっと、もっと、生きなきゃなんないわね

結局宮城まり子さんがいなくなってしまっては、子どもたちはどうなってしまうのか、宮城まり子さん自身も不安を抱えているから、死ねない!!これが生きる力になっているのでしょうね。

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養子縁組を交わしたとしみつくんとつとむくん

宮城まり子さんには血のつながった子どもはいないので、吉行淳之介さんとの愛の証であるねむの木学園にいる子どもたちの中で、としみつくんとつとむくんが、養子縁組を交わし、宮城まり子さんの子どもとなっています。

学園の中では子供たちを引っ張ってゆくリーダー的なふたりです。

写真を見て気づきますか?素朴な疑問にお答えします。

なぜみんなおかっぱなの?

ねむの木学園に暮らしている子どもたちは皆おかっぱ頭が決まっています。

宮城まり子さんの考えですが、足の悪い子供たちが転んでも、頭を守るためにヘルメット替わりとしておかっぱ頭なのです。

ちなみに嫌がる子どもは誰一人としていません。

そして、一年に一度行われるねむの木大運動会前になると、白いシャツに白い短パン、白いハイソックスを全員が同じ服が配布され、当日は職員も同じ白い服装で参加することになります

え・?とおどろくのは、毛そり 男性の足の毛を全部綺麗にをそってしまうのです。つるつるにしてから大運動会を迎えています。

この運動会にはゲストに江原啓之さんも訪れております。仲良しのようですね。以前は歌を披露しにいらしていたこともあったそうです。

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まとめ

「優しくね・やさしくね・優しいことはつよいのよ~」とどこからか、宮城まり子さんの歌声が聞こえてきそうです。

  • いかがでしょうか?宮城まり子さんの人生、吉行淳之介さんとの愛の証・ねむの木学園についてまとめてみました。
  • 皆が同じおかっぱ頭であるとか、男性の足の毛をつるつるに剃るなんて、びっくりですね。
  • 愛する人と結婚できず、子どもを産まない選択をしたからこそ、ねむの木学園に愛を注ぐことができた宮城まり子さん、これからも、学園の子どもたちのためにも、素敵な笑顔で生き抜いて欲しいとねがいます!

しかし、この度93歳にて宮城まり子さんは死去されました。ご冥福をお祈りいたします。

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